またyogaを教えてもらった。

今晩久々にヨガを教えてもらってした。3ヵ月ぶりだ。前にしたときも書いておけばよかったなぁ。自分ができないことがはっきりわかって良い気持ち。
かたいかたい。体がかたいと使える筋肉が少ないのだそう。
ひとりでヨガをするの、自分には難しい。一緒にやってもらうとやりやすい。

自分の顔がすっきりしてないなーっていうのが、わかる。
イマイチ思い切りがない。

ふと考えてみたけど、建築を必死でやってる時間って少ない。
剣道のほうが一生懸命やっている時間が長い。
みんなでそろって、一日の流れに沿って、できる限りやってみよう!という意気込みでやっている。全力を尽くすかたちができている。

建築のほうは、なかなかそういうかたちができにくい。ひとりでやっているし、すべてを遮断して打ち込むっていう状況になってない。
決まったひとつの形を繰り返しやるってことができないっていうのは、厳しいなあ。自分をどうやって、その形にもって行けるかだな。

もう一度考えてみよう。
どういうふうに、規則正しい形がつくれるのか。
「知識更新」「図面描き」「技術向上」「資料集めと整理」
それぞれ決まった枠を作ったほうが良いのだな。
それを繰り返す。

実際には図面を描いている途中に調べものをして…また描いて…なのだけど。本当に難しい。 ただ、この方法では頭打ちだっていう気がする。

明日は図面を仕上げる気持ちで描こう。

今日は、別件で半日が終わってしまった。
これも一つの大事な仕事だ。
もっと、もっと、要領よくするには、無理なことをなんとかしようと思わないことだってわかった。一つの仕事を完璧にしてしまうより、答えが出たらひとつ連絡をして、寝かしてみることだ。

段取り・真剣・後始末

もう、自分の手に負えないことでいろいろ悩むのはやめよう。
そうだから、すっきりした顔になれないのかも。
今のこの状態、決して良くはないけれど、悪くもないっていうこと。
もっと今の自分を良しと今の状況をポジティブに受け入れて楽しめばいいんだ。この状況でできることを存分に楽しんで。

剣道は私自身を映す鏡だ。先日の稽古で思った。
普段の自分は、人を羨んだり妬んだりする必要もないと、己の道を行けばよいと思っているつもりだ。たとえそういう感情をもったとしても、それを態度にださないだけの分別がある…十分に冷静なはずだと。

打たれたら打ち返すような剣道をしていたらダメだ。難しいことだけど、やっと頭でなく体で感じた。

隙を突かれて打たれたら、隙を突いてきた相手に感謝する。
稽古する相手がいることをありがたいと思う。

先生に何度も言われて、頭でそうかとわかったような、、、でもわかってなかったな。

悔しいと思うのは大事なことだ。
だけど、打たれたときに条件反射的に悔しいから一本取りかえしてやると打突を繰り出すとこには、エゴと嫉妬しかない。

剣道はそのとき一瞬一瞬が勝負だから、逡巡してる暇がない。感情に流されたら、それがすぐに行動に映る。それで、普段冷静なつもりの自分が本当はぜんぜん冷静なんかじゃないってことがわかる。本当は人を羨んだり妬んだりする弱い人間なのに、ただうまく隠してるだけだってことがわかる。

隙を突かれたら、気が弱かったともう一回気持ちを新に引き締めて、条件反射的な行動に流されることなく、打突の機会を練る。

やっと最初の一歩を踏み出した。

Metamorphosis

いま海王星が天秤28度にある。
サビアン・シンボルのAquarius 29: A Butterfly Emerging From A Chrysalis.さなぎから羽化する蝶。

海王星はそれ自体が変容を象徴する。
それがまさに変容(変態)する度数にある。かたちを変えて羽ばたこうとしている。

羽化しようとする微妙で、とても無防備な状況。
静かに、誰にも見つからないように。
まだ薄暗いうちに。

YUI

はてなブックマークの使い方を間違っているかもって、薄々(…)感じてる。けど、怖いのとめんどいので、いつも表示されてるチュートリアル・ビデオを見る気になれない…

はてなダイアリーについているリンク登録のしかたが面倒くさいので、リンクしたいサイトをブックマークに登録してしまった。(そしてたぶん使い方まちがってる)リンクの登録ってふつうもっと簡単だと思うけど…これはブックマークとアンテナを使わせるためにわざと、こんなんにしているんでは???

どうでも良い話はおいといて…
YUIにハートを打ち抜かれちゃったよ!もぅ、夢中さ。

インターネットラジオで流れてた『CHE.R.RY』を聴いて、もっと聴きたくなり、YOUTUBEで動画をみてハマり、アルバムで他の曲も聴いたらめちゃくちゃ良い!!!良いっす!全曲好きだー

ああ、日本に帰ったら速攻でCD買いたい。『CHE.R.RY』が入ってるアルバム以外のアルバムも聴きたい。アルバム一枚ってなんでこんなに早く終わってしまうの…というくらいエンドレスしてるよ。曲も歌詞も声も演奏もぜんぶ好き!

こういうピュアな感覚をもとめていたのさ。それで、ときどき歌詞に脳内コメントしてしまうのさ。重症。『I remember you』という歌で、「さよならは言わないだって目を閉じてすぐに会える」という詩があり、じーん!とした。しかし、わたし自身は目を閉じても誰の顔も浮かばなかった…うっ、寒っ!

でも、全然ちがうけどひとつ思い浮かんだことが。
最近になって友達になった子のこと。それまではただの知り合いで、このあいだ一緒に出かけたら、なかなか気の合う子だとわかった。だけどわたしはもうすぐ日本に帰るんだよね。うーん、いっつもそうだなー。もっと早くに仲良くなってたらなあ!って思うんだ。やっと仲良くなったらもう学校卒業だとかね。こういうの多いな。でもこれはタイミングでやっぱりそれより前には仲良くなるきっかけはなく。。。別の場所で別の人々と本音で話せないギクシャクした関係をなんとか築いたりして。自分が向く方向を見誤ってるんだろうな。しんどいわ。

ライブにも行きたいなー

しかし「Birthday song」を「バス停ソング」と聴き間違えていた私(しかもイイ!とか思ってた)がファンを名乗るのはおこがましいか…
なんだよ、バス停ソングって。

分岐点

ここが引き上げどきかな?と思いました。

警察署に出頭してきた。外国人はここで暮らすための許可証がいる。書類不備で更新はできないと言われた。へぇ。という感じ。結果は3月始めに出るのだけど…もぅいいかなぁって。ネチネチ言われたので、エリカさん並に啖呵切って「じゃあもう要りません。」とやりたくなった。やらないけどね…。学生の頃を含めて10年も更新申請でこんなこと続けてきた。その度に早朝から外で並んで何時間も待ったり、各種機関に書類を出してもらうのに駆けずり回ったり、それがまた試験前やら試験中やら…

絶対これだけは!と思っていた大学卒業も果たしたし、現地で資格も取得した。もうこれ以上ここにいる必要ないんじゃない?って感じてる自分がいる。ただ今やってる仕事(といってもボアランティアだが、引き受けた以上責任はある)だけは区切りのいいところまでやって、引き継いでくれる人に渡さなくちゃ。

許可が下りないって警察で言われて、これは日本に帰るオフィシャルな理由になるわって思った。ネガティブですが…とても後ろ向きですが…

書類不備は私が選択した行動の結果だ。でも誰かを責めている自分がいて自己嫌悪に陥る。自分のこの現状はすべて自分が支払うべきツケだから甘んじて支払う、と納得したのに何かが起こるとカンタンにくじけるのか。

あぁあ、こういうときに「なんとかなるって」と思える自分になりたいよ。まったり落ち着きたいときのマリアージュ・フレールの紅茶Grand Bois Cheriに蜂蜜とかしてミルクを加える。でも肩の力が抜けない。ぜんぜん抜けない。なんのために武道やってるんだろ???

よし、これから建築で3年(?けっこう適当。そんなに頑張れない確率のほうが高い。キリがよいというだけ)やってみるかと思って準備始めたとこだったんで余計に宙ぶらりんになってしまった。結局のところ、許可は下りないの?って警察で聞くと3月始めの出頭まで待て、としか返事は返ってこなかった。まるでタロットの逆さ吊り男みたい。

でも同時にこれって本当に帰国の良い機会かもって思う。何の目途も立たないのに、私がいつまでも判断つけられずにズルズルここにいるから。だいたい今までの自分の人生を振り返っても、思い切って出て行かなければいけない状況から抜けられないでいると、ガシャーン!と轟音立ててその状況から吐き出されるようなことになる。結構インパクト強くて、結構負傷する。今回もそれかなぁ…という気がしないでもないの(いつもに比べたら自分は冷静だが。ただの疲れか年の功なのか)。だったら、この機に乗じるのもひとつだよね。著しく主体性に欠けているのがアレだけど。

こういうふうに思うようになってきた理由のひとつは、場にたいするこだわりが薄れてきたからだ。いや、場については物凄くいろいろ考えさせられるのだけど、それがブログを書こうと私に思わせたとこもあるので、こだわってると言えばこだわっているが。自分が今いる「場」という意味において、これは偶発的な結果で執着すべきものではないっていう気がしている。それは、私がどこに居ようと結局やっていることは基本的に同じだからだ。欧州の別の国にいた1年間も基本的に図面描いて、模型作って、パース描いて、延々とリサーチを続け、食料品が尽きたら買い物に行く…アハハ、けっこう寒いかも。でも事実。もちろん環境から受ける影響は大きいけど、その環境はなかなか自分で選び取れるわけではなく、結果的に自分が居るべき場所に居た。振り返ってそう感じる。

今の生活はいままでで一番自分自身に近い生活環境になってきたと思っているので(天井からぶらさがっているのが裸電球であっても)、それが崩れるのは割り切れない思いがある。でも、この先もっと自分が思う生活環境を実現できる可能性もないわけではないよね。

ふたたび、日記。

節分が過ぎた。新しい年の始まり。

2010年を漢字一字で表すと、「壊」だった。崩壊の壊。「崩」でも別にいいけど…
信じていたものが壊れたor崩れたと言えば、詩的な感じもしそうだけど、実際には思い込みが打ち砕かれたと言った方が事実に近いかなぁ。
そして今の自分があるわけだ。崩壊後の残骸を集めてくっつけたような、しかもボンドで雑に直接チューブから出して貼り合わせたので、出すぎたボンドがビャーッとはみ出たまま固まってるような、そういう。だって、残骸をそのまま放って置くにもいかない。通行人のじゃまにもなるしね。

去年の10月頃は自分の張りぼてぶりに(貼り合わせただけだったので)愕然としていた。信念とか展望とかそういうものが、まったく、見当たらなかったからだ。今はその張りぼての中を少しずつ埋めるべく、あれこれやっているところです。一度は休止状態になった建築をまたやり始めた。これは…ほとんどリハビリだわ(^^;;

新しい年が明けて、どこまで行けるかなぁ?
いろいろ迷いもありますが。

春が近い

まだ春分まではあと一ヵ月半あるけれど、日射しが春を思わせる。
日も長くなってきた。嬉しい。

ペンキ塗りのあと、乾いた壁が均一に仕上がってるという喜び!
またがんばって塗ろうと思う。

よし、手ごたえアリだ!

天井と壁の微妙な色の違いが効果を発揮するとき。
してやったりと・・・正確には、うまくいってくれたと安堵する。

高くても良質のペンキを選んでよかった。
ローラーが作るテクスチャー。これがいいのだ。